Interview

輝かしいプロフィールの裏にあった闘い・・・・・
辻本美博が語る、クラリネットソロデビューまでの20年

黒い棒との偶然の出会い

2月14日、バレンタインデーに生まれた辻本美博。特に「音楽一家であった」だとか「両親が大の音楽好きで家ではジャズが流れっぱなしだった」といったことは全くなく、ごく普通にフォークソングの流行歌を楽しむ父と、趣味でママさんコーラスに参加する母のあいだに、次男として生まれる。 3歳までは父親の仕事の都合でマレーシアにて暮らし、その後は奈良県奈良市にて育つ。

音楽や楽器に特別深く触れることなく幼少期を過ごしていたにもかかわらず、中学1年生の春にクラリネットと偶然出会ったのは「神の思し召し」だった。 最初はバスケ部に仮入部するも、「なんかしっくりこーへん」という感覚が湧いてしまったために1週間で本入部を断念。その後しばらく帰宅部として過ごしていたが、「中学に入ったらなにかを極めたい」と前々から思っていた辻本少年にとってはやはり物足りない。 吹奏楽部の音色が校庭にまで聴こえてくる中で下校する日が何日か続いたあと、ふと気になって立ち寄ったのが音楽室だった。

「ふらっと覗いたその日に『希望の楽器はある?』って聞かれて。僕は楽器のことなんてなにもわかってなかったから答えられず、先輩と先生から言われるがまま連れて行かれたところが、クラリネットパートが練習の準備をしている部室だったんです。 流れでそのまま練習に参加することになって、その1日目、第1音目を出したときに、バスケに感じた『なんか違うな』感とは真逆の『これかもしれない』感を感じたんですよね。初めて持たされた黒い棒、音が出た、この響きがそうなのかもしれない、みたいな。 あまり言葉では説明できない感覚なんですけど、『これを頑張りたいかもしれない』ってはっきりと思った記憶があるんです。神の思し召しというか、導かれた感はありますね(笑)」

そこから、クラリネットだけに時間と情熱を注ぎ込む日が始まる。最近公開された“Vermilion”と“Csardas”のミュージックビデオで映っているステージは、辻本が人生で初めて立った場だ。 入部時は劣等生だった辻本だが、中学3年生の引退後に自らの意思で参加した大会では「第6回管楽器ソロコンテスト奈良県大会 グランプリ」「第7回管打楽器ソロコンテスト関西大会 ヤマハ賞」を受賞するまでに腕を磨いていく。

「中学でクラリネットと出会ってから、すべての趣味がなくなりました。クラリネット一点突破になりましたね。それまでは絵を描くのも好きだったり、親にゴルフの練習をさせられたりしてたんですけど、『そんな暇があったらクラリネットの練習するわ』という感じで。 練習をやったらやっただけできるようになっていくことが純粋に楽しかったんだと思います。吹奏楽部の同級生には小さい頃からピアノや鼓笛隊をやってた子も多かったし、僕は入部も1か月くらい遅かったから、最初は劣等生だったんです。それが悔しかったし、最初は楽しみきれなかったけど、吹けるようになると同級生とも認め合えて『仲間』になれるから、どんどんいい方に転がっていくのが楽しくて。 同級生のクラリネットは僕含め4人だったんですけど、クラリネット四重奏でも賞をもらったりしてました。その4人の中では争いとかもなかったし、周りに恵まれていたと思います。別に僕がリーダー、スタープレイヤーだったという感じでもなかったですし、今振り返ると、他の3人もすごかったんやなと思いますね」

あまりにも窮屈な高校を飛び出し、路上へ

中学生の頃から、高校はもちろん、もしかしたらその先もずっとクラリネットをやりたいかもしれないという気持ちが芽生え始めていた辻本は、進学した天理高校で迷いなく吹奏楽部に入部する。 しかし、高校の吹奏楽部の雰囲気は、中学のそれとは全く異なっていた。天理高校の吹奏楽部といえば、戦前から続く歴史を誇る部であり、『全日本吹奏楽コンクール』の常連校でもある。辻本が在籍していたときも金賞の連続受賞を果たしている。 吹奏楽部のために大きな練習塔があり、パートごとに広い防音室を与えられて、Zeppのライブハウス2つ分ほどの合奏場があるといった、高校の部活動としては非常に恵まれた環境も整っている。 しかし、辻本や部員たちは、その練習塔で常にビクビクする緊張感で3年間を過ごさざるを得なかった。まるで映画『セッション』を彷彿とさせるような、指揮者の先生が放送禁止用語も交えて生徒たちを罵る中で練習する日々を送っていた。

「あの3年間、特にキャプテンをやっていた1年を、もし『もう一回あの時期を過ごせ』と言われたら、1億円もらっても嫌ですね(笑)。部員の半分くらいはやめていったけど、僕にはやめるという選択肢がなかったです。高1のときに『奈良県高等学校管楽器独奏コンクール木管の部』に代表として出させてもらってグランプリを取ったんですけど、そのコンクールに出る前に3回くらい教えてくれたクラリネットの先生がすごくよくて。その先生もちょっと近寄りがたいくらいの完璧主義だったけど、基礎から叩き直してくれて、教わることを守り続けたら確実に上手くなっていったし、楽器のコントロール力を身につけることへの喜びがさらに増したんですよね。部の空気がどれだけ大変でも、クラリネットを吹くことは好きやった。当時は練習棟にいるだけでもビビってて、1音出すのもさらにビビリながら演奏する状態だったから、もっと自由に楽器を吹きたい、自由に音楽を奏でたいと思って路上ライブをやるようになったんです」

高校3年生の9月、辻本はクラリネットを自由に吹くために初めて路上へ出る。8時頃に部活の練習を終えると、すぐ家に帰って服を着替えてラジカセを抱え、9時半頃から路上で吹くことが習慣となった。

「一番楽しかったのは、めちゃくちゃ出会いがあったこと。それまでは『吹奏楽部』に対して拍手をもらってたけど、完全に一人で出て行ったときに、誰かが自分の演奏を好きになってくれてファンになってくれるという感覚を初めて学びました。最初はお客さん0人からスタートしたのが、その日に1人足を止めてくれて、次の日は1人から始まり、その次の日は2人から始まり、っていうのが楽しかったし世界が広がっていくのを感じていました」

当時は楽器屋に通い、マイナスワンCDが付いた楽譜集を買い漁っていた。クラリネットソロデビューアルバム『Vermilion』にマイナスワン音源(クラリネットの音を抜いたもの)を収録したCDを付けたことも、そういった自身の経験から想いが湧いたもの。『Vermilion』でもCalmeraの演奏でも辻本の音からはジャズとJ-POPの融合を感じさせられるが、ストリートライブの頃から、 “瞳をとじて”(平井堅)、“ここにしか咲かない花”(コブクロ)、“ハナミズキ”(一青窈)といった当時流行っているJ-POPと、ジャズのスタンダードを演奏して、通りかかる人々の耳を惹きつけていた。

まさか自分がサックスを吹くとは思っていなかった

中学1年生の頃からクラリネット一点突破で生きてきた辻本がサックスを手に取るようになった最初のきっかけも、ストリートライブでの出来事だった。路上で演奏していると、おっちゃんに1万円札を握り締めさせられながら飲み屋へと連れて行かれて、仲間のために“ハッピーバースデートゥーユー”を演奏する機会を与えられた夜があった。その晩から、奈良・新大宮の小さな飲み屋街で辻本は人気者に。何軒かのお店を回ってクラリネットを演奏し、愉快な呑兵衛たちを喜ばせてたくさんの拍手と少しのお小遣いをもらうようになる。その中のお店のひとつが、生ピアノがある「ピアノラウンジ暮夜」だった。ここで辻本はピアニスト・大山りほと出会い、楽譜通りに演奏するクラシックとは全く異なるジャズの世界に感動を覚える。しかも大山は、辻本が翌年から入学する大学のビッグバンドのOBだったのだ。

「入学する前から大山さんと話してて、クラリネットでビッグバンドに入ろうと思ってたんですけど、いざ大学に入って見学に行ったらサックスを吹きたくなったんですよね(笑)。クラリネットとサックスの二刀流の人が世の中に存在する、両立できる、ということを知ってどちらもやるようになりました。サックスに関しては、自分のスタイルができあがる前に元晴氏を知って、『元晴氏になりたい』と思いながらやっていたので本当に多大なる影響を受けてます。ビッグバンドに入った頃に地元のHMVへ行って、先輩に教えてもらったジャズサックスプレイヤーのCDを勉強のために買おうとしたらSOIL &“PIMP”SESSIONS の“マシロケ”がお店で流れてて、ドカンとあの音が入ってきて『なんじゃこりゃ! これは何者や!』ってなって。そこから掘りまくりましたね」

Calmeraのリーダー・西崎ゴウシ伝説いわく、元晴をリスペクトしていた辻本は、2009年6月から約1年2か月間在籍していたクラブジャズバンド・テリトライでも、いきなり客席へ降りて行ったりバーカウンターの上に乗り出してソロを吹いたりと奇をてらったパフォーマンスと素晴らしいサックスプレイで魅せていたという。

テリトライ解散後、辻本のプレイに惚れていた西崎から声をかけられ、2010年8月、Calmeraに加入。父親に教えられた「芸事をやる以上は東京で活動しろ」という言葉に背中を押される中、Calmeraは2012年11月に上京することを宣言。2014年には、自身がリーダーを務めるインストセッションバンド・POLYPLUSを、YOSHIAKI(175R)、MELTEN(JABBERLOOP/fox capture plan)、 YUKI(JABBERLOOP)、Gotti(Neighbors Complain)と結成。両バンドで辻本はサックスをプレイしている。クラリネットとサックスという2つの楽器を、辻本の中では少し異なる位置付けをしているという。

「やっぱり僕はバンドをやるのが好きで、サックスはバンドでみんなと一緒に音を出すときの武器。クラリネットは、自分という人間であり音楽を表現する、体の一部みたいな感覚ですね。だからソロをやるのはクラリネットなんです。サックスで自分が表現したいことはCalmeraとPOLYPLUSでやれてるから、わざわざソロでやりたいとは特に思わなくて。クラリネットは逆に、これで表現したいことがまだまだいっぱいあります。Calmeraだったら『聴いてもらった人に元気になってほしい』とか、POLYPLUSだったら『かっこいい〜! と思ってほしいし、踊ってほしい』とかがあるとするならば、クラリネットソロは、聴く人にとっての好きな空間、好きな時間にずっと鳴っててほしいし、ただのBGMではなくて彩りが増すような、これが流れてるだけでちょっといつもよりいい空間に感じるような、そんな音楽を届けたいと思っています」

成功者でも才能の持ち主でも、ない

若き頃からコンクールで好成績をおさめ、華やかな結果も作品も残してきた辻本は、端から見ると10代の頃から一貫した道を歩み続けてきた上で、たった一握りの人しか到達できない領域にまで登り詰めた成功者のようにも見える。しかし、自身の実感としてはその真逆だ。

「いわゆる『成功者』という感覚は、全くないですね。大学を卒業してプロの道に入ってからの5年くらいは特に、めちゃくちゃ劣等感があったんです。一番大きかったのは、音大を出てないということ。管楽器業界って、大体の人が音大を出てたり留学してたり、専門教育をがっつり受けてるんですよ。その中で、僕はそうじゃないから、それに対する劣等感とないものねだりの気持ちがありました。最近やっと、自分のことも認めつつ、周りのことも認められるようになってきましたね。まだまだ足りてなくてほしいものばかりを考えてしまうし、そう考えることが大事な面もあるけど、同業者の人にも認めてもらえるようになって、今は自分がいる位置を少しだけ冷静に見れるようになってきた気がします。でもやっぱり、自分が輝かしいプロフィールの持ち主とは全然思ってないですね」

情熱、時間を人一倍かけ続けることが、経歴や成績を作っていくということを体現している辻本。人はそれを「努力」と呼ぶのだろう。「自分にクラリネットやサックスの才能があると思いますか?」という質問を投げてみると、彼はこう答える。

「ないっすね。……あのー、ないっすね(笑)。でもそれはネガティブな意味ではなくて。もし柔道や水泳をやってたとしても、同じ熱量でやってとにかく頑張ってたら、今の自分の楽器の到達度にはなってたと思うんです。だから特段クラリネット、サックス、音楽に才能があるとは思ってないですね」

『Vermilion』誕生に欠かせなかったキーパーソンとの出会い

CalmeraとPOLYPLUSのサックスプレイヤーとして活動する中で、クラリネットに対する想いに磨きがかかったことには、あるひとつの出来事があった。2015年の年末、辻本が信頼するゲッターズ飯田と共にした飲みの場に、aikoなどの編曲や『篤姫』など多くの人気ドラマ・映画の劇伴を手掛けているベテラン作曲・編曲家の吉俣良も同席していた夜のこと。自信も仕事もなかった辻本にとって衝撃的に嬉しい言葉が贈られた。

「その場でクラリネットを吹いたら、吉俣さんがズカズカズカと俺のところに来てくれて、『そんなにクラリネットが上手いんか!』『自分の音楽に合うプレイヤーがいなかったから長年クラリネットを使う曲を書いてなかったけど、こんなにクラリネットが上手いやつが近くにいるなら、俺、次からドラマや映画の音楽でクラリネットが入った曲を書くから』って言ってくれたんですよね。そのあと実際に映画『四月は君の嘘』の劇伴のオファーをくださって、そこから数えきれないくらい吉俣さん作品のレコーディングに参加させてもらっています。クラリネットをもう一回自分の中の芯として持とうと思えたきっかけは、吉俣さんのあの言葉でした」

そこから辻本の心の内に、クラリネットソロアルバムを作ろうという想いが芽生え始める。具現化していく中で大きなターニングポイントとなったのは、『Vermilion』のプロデューサー/アレンジャーを務めたカワムラヒロシとの出会いだ。ジャズギタリスト・小沼ようすけに師事していたカワムラは、ジャズをルーツにしながらも美しいポップスを奏でる、バランス感とスキルとチャーミングさが非常に魅力的な音楽家である。カワムラのアレンジ&プロデュース力と、辻本が持っているクラリネットの演奏スキルとセンスが混ざり合うことで、『Vermilion』はジャズやクラシックに寄った音楽性ではなく、すでに世に存在する「クラリネットソロ」の音楽とは違った、まだ誰も踏み込んだことのないクラリネットから始まるポップスの世界として完成した。

「実はカワムラさんとは大阪時代に出会ってるんです。昔、シカキム(CalmeraのPf.PAKshinとのデュオ)のイベントにサックス奏者の堀江有希子さん(sax triplets)をゲストとしてお招きしたときに、堀江さんが連れてこられたギタリストがカワムラさんだったんです。上京してからも時々偶然現場で会っていて、「これはご縁やな」と思って、一度僕から誘ってセッションライブをやらせてもらうことできて。そのあとカワムラさんがNakamuraEmiさんのレコーディングに誘ってくれたのをきっかけに、カワムラさんとEmiさんと濃密な時間を過ごすようになります(笑)。その中で、音楽的にも人間的にも、ソロをやるならカワムラさんにお願いしたいという気持ちがどんどん大きくなっていって、ついに頼んだという感じですね。カワムラさんのプロデューサー、アレンジャーとしてのすごさは、Emiさんチームと関わらせてもらうようになって目の当たりにしてました。カワムラさんは、曲のテーマにあった音作り、一辺倒ではなく彩り豊かなアレンジ作りが本当に素晴らしいし、ギタリストとしてのプレイもかっこいい。自分がクラリネットを表現するときに、クラリネットを操ることにかけては誰にも任せたくないし誰にも負けない自信があるけど、クラリネットが持ってる世界観やサウンドを人に届けるということにかけては自分よりもすごい人がいると思っているので、それをカワムラさんにお願いしました。僕だけの狭い発想と能力でやってたら、今回の6曲は確実にできあがらなかったです」

カワムラが今作のプレイヤーとして選んだ3人――千葉岳洋(Pf)、片野吾朗(Ba)、工藤明(Per)――も、それぞれ吹奏楽やジャズなどをルーツに持ちながらも今の時代の大衆に届くポップスを作り上げるバランス感覚と技術が長けているミュージシャンたちだ。街の雑音から始まる『Vermilion』を再生すると自分がいる街の音とスッと馴染んでいき、聴き手の生活に音の花束を添えてくれるかのような作品に仕上がっている。何事も、複雑なことをシンプルに伝えるのが一番難しくて技術を要すると言うが、『Vermilion』はまさに、耳触りがよいサウンドスケープの中に5人の凄まじいテクニックや表現力が潜んでいる。

「ベースの吾朗さんは、カワムラさんから紹介してもらって僕のソロライブで何回か弾いてもらったことがあるんですけど、バランス感覚と音色の多彩さが素晴らしいプレイヤーで。工藤明さんは、JABBERLOOPやm.s.t.のサポートとして一緒になったことがあって、同じくバランス感覚と音色使いがすごい人やなと前々から魅力を感じていました。千葉くんはカワムラさんのイチオシで、今回のプロジェクトで初めましてだったんですけど、同じく(笑)、素晴らしいバランス感覚で。音楽的なことで言うと実はすごいことをやっているけど、それが全然そうは聴こえなくて、スッと生活に入っていく音として聴こえていたら、もう最高です。それはひとつ、大きく目指していたところでした」

クラリネットで先導したい、理想の世の中

新型コロナウイルスの終息の見通しがまだ見えない2021年2月にリリースされる『Vermilion』。Vermilion=朱色は、古来から災厄を防ぐ色とされており、人々の幸せや安全、健康を願う想いもこのタイトルには込められている。

「“Vermilion”という楽曲を書いたとき、最初の仮タイトルは“パッション”だったんです。僕のクラリネットに対する情熱と、クラリネットでこんなに情熱的な音楽ができるんだということをストレートに書こうと。最初はマイナーキーのもっとコテコテな感じやったんですけど、それをカワムラさんにアレンジしてもらって、爽やかさも加わりながら、哀愁感や情熱的な感じもちゃんと残っているという、全部美味しい形にしてもらいました。それができあがったときに、“パッション”という真っ赤に燃えるイメージとは違って、もっといい意味で調和の取れた感じで、なにかが混ざってくるなと思ったから、赤に黄色を入れてみようかなって。つまり、曲が変わったことで、色をイメージしたときに“Vermilion”という色が一番しっくりきたというか。そうしたら、朱色は神社でも使われてる色で、災厄を防ぐ色という意味合いがあるということを知ったんです。2021年に出す作品のタイトルとしては時代を一緒にパッケージできる感じも含めていいなと思って、これを確定にしました」

12歳の頃から始まった、辻本美博のクラリネットプレイヤーとしての人生。20年の時間をかけて、ようやくソロアルバムを世に出すことにたどり着いたが、これは辻本にとってゴールではなくあくまで通過点だ。まだ、この先に成し遂げたいことがある。立派な「成功者」であると自身を十分認めてあげられるようになるまで、まだまだ道のりは長い。

「今思ってることは、とにかくこのアルバムを広めたい。具体的に掲げた目標は、『Vermilion』を1年間で1万枚売ること。1万人に認められたいし、1万人の人たちの生活に届けたいです。0人の路上から始めた僕が1万人の前で演奏してる……その景色を想像するだけで、めちゃくちゃグッとくるんですよ。そして広めていった先で、たとえば『クラリネットのインストの音楽がドラマの主題歌になりました』とか、どんなきっかけでもいいんですけど、クラリネットという楽器をやってる人が誇れる世の中になることがひとつの目的地だと思っています。クラリネットを吹奏楽部で通った人って世の中にいっぱいいるんですけど、『私、クラリネットやってました』ってわざわざ言わないじゃないですか。たとえば今、Creepy Nutsの活躍で彼らの同世代や若い人たちが「俺、ラップやってんねん」「私、DJやってんねん」っていうことが言いやすいし、なんならそれをかっこよく言える状態になってると思うんですよね。そういうことがクラリネットで起きたらいいし、それを先導できたらいいなと思っています。まずは、20年かけてたどり着いた、一生に一度のソロデビューの2021年を、1000%で頑張ります」

TEXT:矢島由佳子